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ドジャースのバリー・ラマー・ボンズはアメリカ合衆国・カリフォルニア州リバーサイド出身

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1990年代にキャリア初期から中期ともいえるにおいては、走攻守全てに際立っ

た力を持つ5ツールプレイヤーであった。30本塁打30盗塁を5度成し遂げた、

3割30本塁打30盗塁を3度、3割の40本塁打40盗塁を1度記録しています。

このうち40本塁打40盗塁はホセ・カンセコに次ぐ史上2人目の達成者となり

ました。守備ではゴールドグラブ賞を8度獲得している。それから、1997年の

オールスターでデビッド・コーンイバンとロドリゲスの黄金バッテリーから盗

塁を奪ったのだ。

スポーティング・ニュースとESPNはともに、90年代最高の選手としてボンズ

を選出している(歴代の受賞選手はウィリー・メイズ、ジミー・フォックス、

スタン・ミュージアル、タイ・カッブ、テッド・ウィリアムズ、ピート・ロー

ズ、マイク・シュミットなど)。通算7度のMVPのうち、この90年代に3度

を獲得している。

2001年のシーズン73本塁打を筆頭に、2001年からは出塁率.500以上、4年連

続で長打率.700以上を記録しました。この2つの数字を足したものであるOPS

においても1.200以上を記録して、2004年には出塁率.609、長打率.812を記録

しOPSはMLB記録の1.422を記録する。四球記録は自身が3度更新して、敬

遠数は2度更新、出塁率も2度更新しました。

キャリア一年目の年間100三振に達したのは102三振だけ、2001年に73本塁

打を記録して以降は本塁打率が大きく上昇しましたが、2004年には三振よりも

本塁打の方が多い(45本塁打41三振)という記録を残している。

しかし、シーズン中に73本塁打を打った2001年のシーズン以外では、50本塁

打以上を記録したことはなかった。

無走者での敬遠が41度(うち無死無走者の場面での敬遠が5度[63])で、2ス

トライクを取られてから敬遠されたことが5度(うち0ボール2ストライクか

らフルカウントになり敬遠されたのが3度)もある。また前述のように、1998

年5月28日のダイヤモンドバックス戦で、9回ツーアウト満塁から敬遠されま

した。

73本塁打を記録している。2001年シーズンの本塁打の内訳は、右翼方向29本、

中堅方向15本、左翼方向4本、左中間4本右中間21本、だった。73本中50

本が引っ張り方向で、逆方向がわずか8本である。典型的なプルヒッターであ

った事が窺える。もっとも、ボンズの場合は逆方向に打つ必要がないほどに打

撃が優れていました。とされる。

体格が突然巨大化したことで2000年代以降に、30歳代後半の年齢でパフォーマン

スが一気に向上した(年間45本塁打以上した過去6シーズンのうち、5回は36歳以

降で記録していて、本塁打率(打数÷本塁打数)も1998年まで16.2であったのが

1999年から2007年までは9.2と急上昇している)ことなどから、筋肉増強剤のアナボリックステロイドヒト成長ホルモン(HGH)等の運動能力向上薬物を使用している

との噂があった。

シーズン73本塁打の新記録を作った2001年の時点では、薬物の問題は表面化し

ていなかったのだが、ボンズの体格が劇的に変化したことは当時からマスコミでも

度々取り上げられていた。プロ入り当時は体重84キロで、98年までは86キロと、体

格に大きな変化はなかった。それがドーピングを始めたと噂される99年から毎年増

加し、93キロ・95キロ・103キロと増えつづけ、そして2007年のMLB公式サイトの

掲載においては109キロにまでなっている。

人一倍プライドの高いボンズは、「このままでは一番でいられない、ホームランを打た

ないと誰からも注目してもらえない」と今までのスピードを捨てて本塁打を打つための

パワーを手に入れようとした、というのである。1998年のオフ、友人のケン・グリフィー

ジュニアと食事をした際に、ボンズはそのように語り、ステロイドの使用を開始した

ことを示唆したとグリフィーが証言している。ボンズが薬物に手をだすきっかけとなっ

たのは、1998年のマグワイアとソーサの本塁打量産対決であるというのが通説であ

る。ボンズは1998年シーズン終了後から薬物使用を始めたとされているのだが、そ

れ以前の経歴も徹底的に洗い出されており、言い換えると1998年シーズンまではほ

ぼ間違いなくシロとされていた。1998年では、従来の記録であったロジャー・マリス

シーズン61本塁打を大きく超えるハイレベルな二人の争いに全米中が熱狂しました。

その一方でこの年に打率.303・本塁打37・打点122・盗塁28・OPS1.047という成績

を残し、史上初の「400本塁打‐400盗塁」を達成していたボンズはこの二人の影に

完全に隠れてしまった。

こうして、このあと数々の記録を打ち立てることになる凄まじい打棒と引き換えに「疑

惑」はどんどん強くなっていったのである。

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