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プロ野球界に一石を投じる存在として、北海道日本ハムファイターズを活動の場とし、投手としてもバッターとしても卓越した技術を持つ大谷翔平選手!!

2024年12月28日

見事に「二刀流」を実現している大谷翔平選手についての話題です。

彼は、プロ入りわずか2年目にして、投手として11勝をあげ、またバッターとしては10本ものホームランを打ち

出すという、それまで誰も成し遂げたことのない記録を打ち立てました。

ホームベースに立つと、その勢いよく振るうバットからは長打が飛び出し、投手としてマウンドに一歩踏み出す

と、その繊細ながら破壊的なピッチングで打者を束の間に圧倒します。

こうした大谷選手の活躍は、彼が「二刀流はやめた方がいい」という意見を一蹴し、更なる飛躍に向けて成長を

遂げている証しです。

彼の活動を時系列に追っていくことは、まるでドラマの一部を見ているかのような興奮と感動を覚えます。

この著書『大谷翔平 二刀流』の企画と執筆を手がけた小島克典さんによると、その成果はただ単に記録に留ま

るものではないという。

プロの世界では、結果こそが全てだと思われがちですが、大谷選手の活躍に至るまでの経験や努力、そして心境

の変遷などは小島さんにとって大変魅力的だったようです。

その全てを残すために、本書を作ることは使命だと感じたそうです。

彼が長年にわたって野球業界で通訳や広報として従事している中で見てきた無数の選手の中でも、大谷選手の存

在感は一際異彩を放っていました。

そんな彼を初めて直接話したのは『週刊SPA!』でのインタビューの際で、その時の衝撃は鮮明に覚えているよう

です。

彼の卓越した才能と若き活力に打ち震え、これは何が何でも記録に残さなければいけないと確信したと言いま

す。

その気持ちを形にするべく、企画書を作成し編集者に提案したところ、本書『大谷翔平 二刀流』の制作が決ま

りました。

そして、シーズンが終了し彼の二刀流の挑戦が終わった時、大谷選手が達成した“11勝10本塁打”というからくり

新たな記録が、その使命感を更に強めました。

彼が2014年に達成したに至る成果は、まさに殿堂入りするに値するような偉大なるものでありました。

このような壮大な成果を正当に称え、きちっと形に残すことができる書物は、その成果が認められる殿堂に飾ら

れるに相応しいものであると考えました。

このような思いを胸に、何の恥ずかしさもなく、きっちりとした素晴らしい本を創造するべく、自らを鞭打つ決

意をしました。

そしてふと、彼が未来において、大谷選手としてアメリカの野球界に羽ばたく可能性を思い浮かべ、その時、彼

が書くその本がアメリカの野球殿堂博物館に展示されているというイメージが頭をよぎりました。

それが彼の目に映る大谷翔平選手と、ファイターズという組織の間に織り成す物語性の一部分でした。

そんな中、12月26日には、待望の大谷本の企画が扶桑社から通過し、彼に対してその連絡が入りました。

そこから数えて13日間、ほとんど抜き目なく徹夜を続けた末に、ついに最終原稿を納品しました。

「クリスマスプレゼントが1日遅れで届いたような喜びだった」と振り返る彼の気持ちが伝わってきます。

それと同時に、年が明け新シーズンの開幕に向けて出版を目指し、日々のスケジュールが怒涛のように進行する

という新たな段階が始まりました。

インタビューを行った関係者の総数は、主役である大谷選手をはじめとして、日本ハム球団など、全体で33人に

及びました。

連日、朝から夜までノンストップでインタビューを行い、その取材範囲は実質、約6週間にもおよびました。

しかしながら、彼の口からは何の苦労も感じさせない、余裕綽々とした態度での進行でした。

そして、大谷選手周辺の専門家たちの話を聴く中で、大谷選手のすべてはファイターズという組織があったから

こそであり、その組織の力と懐の深さこそがきちんと表現しなくてはならないと感じるようになりました。

そういった意識のもとで、彼の筆が進行していきました。

「以前は、取材活動を始める前の段階で思っていた事は、大谷選手の驚異的な活躍とその才能を一人でも多くの

人々に伝えたいという強い想いから出発しておりまして、彼が2014年に達成した業績を一つ一つ細かくまとめ、

伝えることを主な目的として考えておりました。

しかしながら、取材を進めていく中で新たに気づかされた事がありました。

それは、大谷翔平選手自身が凄い才能を持っているだけではなく、その才能が最大限に引き出される環境を提供

している日本ハムファイターズというプロ野球チームもまた、同等に評価されるべき存在だということです。

また、取材を経ることで、個々の選手だけでなく、チーム全体の結束力と共通の目標に向かう力が大谷選手のよ

うなインパクトのあるパフォーマンスを生み出す原動力となっていることに気づかされました。

栗山英樹監督の考え方もまた、この事に大いに関わっていると感じています。

一方で大谷選手は「この人なら安心して任せることができる、一緒に野球をしてみたい」というビジョンを見出

していたのです。

監督の存在が大谷選手の日本ハムファイターズ入団を決定づけた一因だという事になります。

栗山監督は大谷選手がまだ大いに名を成す前の段階から、選手の可能性と才能を見極める眼を持っていました。

そのことは、大谷選手がアメリカで活躍しようという意向を明かす以前から、彼を獲得するために球団に働きか

け続けていたという事実からも伺うことができます。

その一方で、大谷選手に対しては、親のような立場から進むべき道を提示し続けていたということです。

例えば、「将来、メジャーリーグで活躍したいという抱負があるなら、どのような経路が最善か?」「もし自分

が大谷選手の家族だったらどう考えるだろう?」という自由な思考を大谷選手に惜しみなく伝え、自身の視点を

共有していました。

このように、彼の存在が大谷選手の活躍に大きな影響を与えていたことが明かされました。

大谷翔平選手が新天地へと飛び立つ際、その抱える二刀流の実現について注視していたのが、「大谷の身体を最

大限に守ること」という視点であった。

まるでそのシチュエーションを一枚の絵に投影したとしても、その大切さは何一つ変わらないことを伺える。

そして、おそらく必要な要素が一つでも欠けていたとしたら、我々が今目の当たりにしている大谷の活躍は存在

しなかったかもしれない。

これこそが見事な連携の結晶でしかない。

素晴らしい演奏者には素晴らしい指揮者がいて、その両者が存在するのは素晴らしいチームであり、そしてその

技を最大限に活かせる環境が整っている。

大谷選手と栗山監督の良好な関係性もその一因であり、それが全体としての良好な組織作りにも寄与していると

断言できる。

これこそが、「大谷とファイターズの物語」と称される由縁でもあり、それはすなわちファイターズの軌跡でも

ある。

栗山監督はその著作の中で、その結論に至るまでの過程、色々な試行錯誤、悩みや迷い等について非常に熱心に

語っており、それが生々しい姿を私たちに映し出している。

栗山監督と小島さんとの関係はかなりの長い時間にわたるもので、数十年前のマイナーリーグのオールスターゲ

ームや1Aリーグ(マイナーリーグの中で3Aと2Aよりもランクが低い)の観戦中に何度も偶然に出くわしたこと

があるとのこと。

そして、監督が自身の思いを深く語ったのは、きっとインタビュアーが小島さんだったからなのだろう。

小島さんは「こんなところにも日本人がいるなんて驚きだ!」といった驚きの顔を見せ、2年連続でまったく予

想外の場所で栗山監督と出くわしたエピソードも語っています。

出会った後は一緒にお茶に行ったりして、諸々の話をしたこともあるとのこと。

栗山監督は他の指導者や関係者が見向きもしないような場所にも、一人で足を運ぶ勇敢な人物なのです。

そのような監督の思いが詰まった著書は、大谷翔平ファンだけでなく野球ファン全般、そして指導者や組織に所

属する人々にとっても、野球を超えたドラマティックな軌跡として感銘を与えるものでしょう。

大谷選手はただの選手でなく、深みのある存在と言えるでしょう。

「私はまだまだ詳細を知りたい、もっと深くまで理解したい」という強い興味と思いから、ファイターズという

組織やそのスタッフたちの「情熱や篤い気持ち」を深く知り、さらに深い取材を行ってきたという小島さんがお

伝えしています。

大谷選手という、日本人にとっての夢であり希望でもある「二刀流」を堂々と追求し続ける彼の姿や、その背景

に広がるドラマチックなストーリー、そして記録の数々が濃密に詰まったこの本には、野球の殿堂博物館という

場所で大切に保管され、多くの人々に見てもらうべきだと確信しています。