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北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手と言えば、あの二刀流やり手です。

その活躍は、一部の批判にもめげずに自身のスタイルを貫く大谷選手の個性と力を象徴していますが、実は彼の

成果には、彼を育て、サポートしてきたファイターズという組織が大きく寄与しているんです。

投手でありながら、自身の打撃力を生かせる二刀流のパフォーマンス、それが誤解を受ける事もありましたが、

結果として沈黙させてしまったほどです。

過去に例を見ない彼のパフォーマンスは、その2年目のシーズンには11勝という活躍を見せ、また打撃面では10

本塁打を打つという珍しい記録を樹立しました。

彼の極めた打撃と投球両面の活躍には、誰もが驚かされました。

少し違った視点からこの話を聞いてみましょう。

本書の企画や執筆を手掛けた小島克典さんにお話を伺いました。

プロ野球の世界では結果が全てとも言われますが、だからといってその結果に至るまでの過程が平凡であるとは

限らないんですよ。

大谷選手の歩みを追うと、その道程には壮大な物語が織り込まれています。

彼が開始したその伝説的な成績の背後には、その軌跡を追ってみると非常に興味深いストーリーが隠れていま

す。

それを思うと、ラマを見てワクワクするような、そんな感覚になります。

彼が成し遂げている今まで誰もなし得なかった偉業、それは誰かが記録しておかなければならない大切なもので

す。

その感覚は、ただの熱意を超えて、使命感に似ています。

小島さん自身、長年に渡り野球界で働きながら、通訳や広報といった職を経験してきています。

彼が本書を企画した理由は、彼自身の熱意もあるでしょうが、その中には強い使命感も含まれています。

彼が見てきた多くの野球選手の中でも、大谷選手はまさに別次元の存在です。

一体どこが違うのか。

それは、彼がアスリートとしてだけでなく、人間としても完成されているところです。

彼が初めて大谷選手をSPAのインタビューで見たとき、その衝撃は強かったそうです。

そんな彼が選手としての実力だけではなく、全てをレコードに残すべきだと強く感じ、本書の企画に取り組みま

した。

そして紹介した企画は編集者に受け入れられ、物語はその秋、野球シーズンの終わりに向かって進んでいきま

す。

季節が落ち着いてみると、大谷選手は二刀流に挑むことで11勝と10本塁打という驚異的な記録を達成していまし

た。

彼が2014年に成し遂げたことは、まさに殿堂入りするべき偉業だったのです。

それについて言及するならば、対象となる自体をある程度詳細に網羅し、適切にまとめた形式の書物は、それが

展示されるほどの存在価値が十二分に備わっていると言えるでしょう。

私自身そうした意識のもと、誰が見ても確固たる魅力があるもの、厳密かつ丁寧に作り上げなければならないと

強く感じました。

このように思った背景には、将来的に大谷翔平選手がアメリカへの道を選ぶであろう可能性があるからだと言え

るでしょう。

なぜならば、私たちが手掛けた書物が、野球殿堂博物館のような場所で展示される光景をふと思い浮かべた瞬間

があったからです。

扶桑社より小島さんへ、大谷翔平に関する書物の企画が正式に通達されたのは12月26日でした。

その書物の中身は、大谷翔平選手のダイナミックな活動とその所属する北海道日本ハムファイターズの物語を中

心に、緻密に描かれています。

完成までの過程もまた、厳しいものでした。

とりわけ最終草稿を納入する直前のエピソードとして語られているのは、ほぼ毎日徹夜して粘り強く取り組んで

いたという事実です。

小島さん自身は、それを振り返りながら少し遅れたクリスマスプレゼントのような感じであったと微笑んでいま

した。

それから新年を迎え、シーズン開幕日に向けた書籍の出版を目指し、慌ただしいスケジュールが始まったので

す。

取材に協力した人員は、大谷選手を初めとする日本ハム球団の関係者等、合計で33人に上り、朝から晩まで刻々

と変化するスケジュールに合わせてインタビューを行う事態もしばしば起こりました。

書き上げるまでの一連の期間は概ね約6週間に及び、その過程が極めて困難であったと想像する人もいるでしょ

うが、小島さんは楽しみながら語っていました。

休む間の無い多忙な日々が続く中で、大谷選手を取り巻く独特な環境から色々と学ぶことができ、それら全てが

互いに深い意味で繋がっていることを実感しました。

人々から色々な話を聞くことで、それぞれの要素がしっかりと線で繋がっていき、それまでの見方が全く新たな

次元で繋がっていきました。

それを通じて、特に立体的に理解できた事実が、大谷選手の偉大な成功は、北海道日本ハムファイターズという

組織が存在することによって初めて成り立つということです。

大谷選手の可能性が最大限に引き出されるのは、球団の努力とチームワークによるものであることを痛感しまし

た。

全てのスタッフが一つの共通目標に向かってひとまとまりになり、力強く前に進む姿に強く感動を覚えました。

大谷選手の驚異的なプレーは、確かに素晴らしいものであると誰もが認めるところですが、私たちは少なからず

大谷選手がダブルプレーヤーとして脚光を浴び得るその場が、北海道日本ハムファイターズというセントラルリ

ーグの野球チームによって提供され続けているという事実に目を向けるべきです。

言い換えると、これは一人の野球選手である大谷と、彼を中心に進行するファイターズ全体のドラマといえるで

しょう。

このことから、ファイターズの組織力や、その豊かな人間性といった要素もしっかりと述べるべきと思うように

なったのです。

当初は、私自身が単純に大谷選手の途方も無いパフォーマンスを伝えることに意識が向いており、2014年に彼が

作り上げた輝かしい記録の全てを集めることに注力しようと考えていました。

しかし、実際に取材を進めてみると、大谷選手だけではなく、彼を基盤に支えていたファイターズの力強さに、

私は心から感嘆するようになったのです。

私が激しく感心したものの一つが、栗山監督の決然とした覚悟です。

まさに「もし私が翔平の身内だったら」という話がそれぞれます。

大谷選手が北海道日本ハムファイターズへの入団を決定した背景には、その彼の魂を揺さぶる存在、栗山英樹監

督がいたのです。

彼の口から語られたインタビューで、大谷選手はこのように語っています。

私がまだ無名の新人であった頃から、栗山監督は私の能力を信じ続け、その可能性の底を探り続けてくれまし

た。

それゆえに、私は監督に対して、絶対的な信頼を抱くことが出来たのですと。

また、栗山監督は大谷選手がアメリカ行きを公にする前から、すでにファイターズのスタッフに対して、「絶対

にドラフトは大谷選手で決めるべきだ」と繰り返し、強く主張してきました。

大谷選手を心から信じて疑わないその監督の姿勢は、大谷選手本人からも最高の信頼を得ています。

彼は既に高校2年生の時から、たった一度のプレーを見ただけで、「この選手は二度と出てこない」という確信

に到達していたのです。

その上で、一切の無理強いをしないで大谷選手を尊重しつつ、その優れた才能をチームに持ち込みたいと強く願

っていました。

その一方で、大谷選手を華麗なる選手としてだけでなく、まるで子供を思う親のような視点で見守る彼の姿も、

私たちが忘れてはならなない点だと思います。