彼のこの驚きの業績は、かつて我々が地球外の存在であると感じていたバリー・ボンズ選手自身が惚れ込むほど
でした。
言うまでもなく、大谷翔平選手は史上6人目となる「40本塁打-40盗塁」の達成者となりました。
それどころか、彼はその「40-40」の記録さえも超える驚きの54本塁打と130打点という2冠を達成したので
す。
しかも、この数値は「50-50」といわれる、まさに唯一無二の記録更新にまで至りました。
このシーズンが終わり、大谷選手のこれら驚異的な成績を踏まえて、アメリカのデータ分析会社は彼を「レジェ
ンド」と紹介しました。
それは日本時間の6日、アメリカ時間の7日、コーディファイ・ベースボールというデータ会社が自社のツイッタ
ーを更新し、1シーズンで35本塁打以上、30盗塁以上、OPS+180以上を記録した2人の選手を紹介したからで
す。
そのうちの1人として名を連ねたのが、1996年にバリー・ボンズ選手、もう1人が誇り高き日本人選手、大谷翔
平選手でした。
バリー・ボンズ選手は、歴代最多の762本塁打という記録を持つ偉大な選手です。
1996年には打率.308、42本塁打、129打点、OPS1.076、OPS+191、盗塁40という絶大な成績を収め、1988
年のホセ・カンセコ以来2人目となる「40-40」の偉業を達成しました。
一方、その偉大なボンズ選手を超えるように、大谷翔平選手は今シーズン、MLB公式の統計だけを見ても、134
得点、54本塁打、130打点、出塁率.390、長打率.646、OPS1.036、99長打、411塁打、ISO(長打率-打
率).336、本塁打率11.78という“リーグ10冠”を達成しました。
またOPS+190もリーグ1位という、正に圧倒的な成績を収めました。
アメリカのドジャースファンからは、このような圧倒的な成績を収めた大谷選手のために、絶賛の声が上がりま
した。
特に、かつて地球外の存在であると噂されていたバリー・ボンズ選手さえ超越した大谷選手の偉業には、称賛の
声が絶えませんでした。
彼がユニコーンと称され、50盗塁以上の驚異的な記録を持つだけでなく、さらには世界一に輝いたことは、全く
別の次元の偉業と評されました。
現在、大谷選手はオフに入り、自身の左肩の手術を受けていますが、来季には投手としてレベルを更に一段と上
げる彼の活躍が期待されています。
かつて、名高いプロ野球選手であるバリー・ラマー・ボンズがどのような記録を打ち立てることができたのかに
ついてお話しいたします。
彼の名前は、圧倒的なパフォーマンスと驚くべき記録を通じて最高峰の野球リーグ、アメリカ合衆国メジャーリ
ーグベースボール(MLB)で永遠に記憶されている存在となっています。
まずは、彼の出身地について触れておきましょう。
緑豊かなカリフォルニア州リバーサイドという土地が彼の母体であり、そこで野球というスポーツへの情熱を培
いました。
彼は、その情熱を持ってプロ野球の頂点を目指し、ポジションは外野手として、左投・左打というスタイルで活
躍しました。
その彼が持つ、他の誰もが誇れない数々の記録についてお話しいたします。
その中でも最も注目すべきは、MLBの歴代記録である通算762本塁打とシーズン73本塁打の二つの数字です。
さらに語り尽くせないほどの数々の記録、出塁率609、長打率863、OPS1.422、500本塁打500盗塁という、通
常の野球選手では到底到達できない領域を彼自身が突破し続けたのです。
彼のキャリアは1990年代に全盛期を迎えます。
彼はその期間、圧倒的な走攻守という全ての要素を兼ね備えた5ツールプレイヤーと言われ、その能力の高さか
ら、30本塁打と30盗塁を達成したことが5回、打率3割・30本塁打・30盗塁を達成したことが3回、また、40本
塁打と40盗塁を達成したことが1回という壮絶な成果を遂げています。
特に40本塁打と40盗塁の達成は、それまでの歴史上ホセ・カンセコに次いで2人目の記録となりました。
また、守備面でも彼は非常に優れていました。
守備の技術を高く評価され、ゴールドグラブ賞を8度獲得しています。
その他、オールスターでデビッド・コーンイバンとロドリゲスの黄金バッテリーに対して盗塁を成功させたこと
でも知られています。
長年の活躍の証として、スポーティング・ニュースとESPNから90年代最高の選手に選出されたボンズ。
その評価の高さは、これまでの受賞者にウィリー・メイズやジミー・フォックス、スタン・ミュージアル、タ
イ・カッブ、テッド・ウィリアムズ、ピート・ローズ、マイク・シュミットと名を連ねる彼の存在を如実に物語
っています。
そんな彼が記録したMVPは通算7度で、そのうち3度は90年代に受賞したものです。
そして驚くべきことに、2001年からは四年連続で出塁率.500以上、長打率.700以上を記録し、その2つの数字
が生成するOPSでは1.200以上を記録し、2004年にはMLBの歴代最高記録となる1.422をマークしました。
その他にも彼は、自身が所有する四球記録を3度にわたって更新し、敬遠数と出塁率も2度ほど更新しました。
以上が、バリー・ラマー・ボンズという偉大な野球選手が刻んだ記録の一部です。
彼がプロになり最初のキャリアをスタートした時、一年間で僅か102回の三振しかなかったというすばらしい記
録を達成しました。
その後、2001年には驚異的な73本もの本塁打を打つことができ、それ以降彼の本塁打率は順調に上昇していっ
たのです。
さらに、2004年には、全ての打数の中で本塁打が三振よりも多いという、あまりありそうもない45本の本塁打
に対して41回の三振という素晴らしい記録を作りました。
しかし、そんな彼にも波がありました。
言えば2001年の73本塁打を打ち出したシーズンを除けば、一シーズンで50本以上の本塁打を打ち出したことは
無かったのです。
また、彼は敬遠を41回も経験しています。
それもそのはず、彼はとても強打者だったからです。
その中でも特筆すべきは、無走者での敬遠が5回、更には2ストライクを取られてから敬遠されたことも5回あり
ます。
そしてその中でも、3度も0ボール2ストライクからフルカウントされながらも敬遠されたことがあります。
また、試合の重要な局面では敬遠という手段を取られることも多く、特に思い出に残るのは、1998年5月28日の
ダイヤモンドバックス戦の9回裏2アウト満塁から敬遠された瞬間です。
さて、彼が2001年に打った73本塁打の中身について見てみましょう。
その中で右翼への本塁打は29本、中堅への本塁打は15本、左翼への本塁打が4本、そして左中間と右中間にそれ
ぞれ4本と21本の本塁打を打ちました。
このことから、73本のうち引っ張り方向への本塁打が50本と大半を占め、反対に逆方向への本塁打はたったの8
本だけだったということがわかります。
このデータから、彼は典型的なプルヒッターであったと断言することができます。
もちろん、彼ほどの打撃スキルを持った選手ならば、逆方向に打つ必要は全くありませんでした。
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